サンタさんが来るイベントの際も泣きまくり。他のベビーの母たちは触れずにいてくれました。やはり顔貌はあまり特徴的ではなく、専門家が見るとわかる程度だったようです。今でもよく気がついたなと思います。
この頃はやはりダウン症だと思うエピソードがあるたびに泣いていました。遺伝の専門医から再度両親にお話があるが日程どうするかという、相談でも、ああやはりダウン症なんだと泣いていました。全体的に悲しいというかぼーっとしてあまり深く考えずにいたようです。
皆から届くお祝いメールや、小さくても大丈夫だよ!的な応援メールはなんだか素直に受け取れませんでした。病室からGCUまでの移動の際に母子同室の人たちの部屋の前を通り、私もこうありたかったと思いました。
その割に骨盤ベルトを締めたり、早速撮りまくった息子の写真を保存するためのUSBをAmazonで買ったり何故か精力的に動いている部分もありました。名付けをしないと書類仕事が全く進まないと気がつき、名前も急いで考えました。ある程度候補はあったのですが、予想より早く産まれて決まってはなかったです。心の大きな子にみんなが集まってくれるようにと名前を決めました。
コウノドリで見たNICU児の母はおっぱいを持っていくしかやってあげられることはないというセリフは本当で産後部屋でテレビ見ている人なんて私くらいだったと思います。ひたすらスピッツで絞った母乳を吸って息子のところに届けていました。ものすごい安産でしたが、悪露はもちろんしっかりでましたし、子宮復古は痛いし、会陰切開部分は痛いし、骨盤はぐらぐらだしで身体の急激な変化にびっくりしましたが、産後1日目より2日目の方がかなり元気で自分の回復力にもびっくりしました。骨盤ぐらぐらはなんと表現したらいあのかわからないですが、捻挫というか骨盤が脱臼してる感じでしょうか?3ヶ月たって元に近い状態になった気がします。子宮復古を後陣痛というのはあまりネーミングセンスないなと思います。前駆陣痛はいいですが、後陣痛はまた別な感じがします。会陰切開部分は怖くてなかなか触れられず、産後トイレが本当に大変でした。
息子はクベースの中で酸素投与を続けており、私が息子を初めて抱っこしたのは産後3日目でした。可愛くて可愛くてまた涙がでました。生理的体重減少で、この頃が一番体重が軽く2000切るか切らないかくらいでした。胎便もでて、十二指腸閉鎖もなくほっとしたところで授乳が始まったようでした。仕方のないことですが一番初めの授乳は私がやりたかったと思い、残念でした。点滴漏れがあり点滴が左に入れ替わっていました。刺し痕はなく、先生ルート入れるの上手だなぁと思う小さな手でした。
やはり2300にはなかなか達せず私は産後5日目先に退院しました。お会計は済ませておき、夫が迎えに来てくれたので一緒に帰りました。ママだけ先に帰ってごめんねと思いました。退院後もう一度病院に面会に来ることも考えましたが、流石に体力がありませんでした。