一番最初、後から思うとかなりきっちり時間を設定し、えらい沢山のスタッフと入ってきた医師にマタニティハイの私は何にも思いませんでした。看護師同席なんて大事なムンテラの証拠なのに。
こう言う事が起こる場合得てして染色体異常を認める事がありますと言われた時初めに思ったのは
え、うそでしょ?そして、夫に離婚されたらどうしようでした。
嘘でしょ?→この医者ぽんこつか?わたしも夫も分からなかったのに?→でも、医者がこう言う言い方をする時はかなり確信的だ。→なんで?どうしてうちのこが?!→悲しすぎてひとりでは受け止めれない→夫が離れていけばひとりで受け止めないと→(将来的に)離婚されたらどうしよう
さて、夫ですが2人きりになった瞬間
まあ、、、、、ええやん!
この瞬間もう一度夫の事が好きになりました。
キュブラー・ロスの受容のプロセスを辿ったなと後から思いました。この時はしっかり受容したわけではなく大きくはまだ否認と怒りの段階ですが。あと、ふいに、今後告知は患者さんの目を見ずにしようと思いました。患者側では先生にどういう表情をしたらいいから困るので。初めて患者家族になってわかったことでした。
夫も多大なショックを受けたでしょうに完全に私を励ますモードでした。明日も早いのでムンテラ受けたら帰る予定だったのが、ご飯買って来るわと夫も病院で食べることにしました。
姉に電話し、さらに励まされ。まだ、決まったわけじゃない。検査の結果を待とうと、心を持ち直しました。
少しも息子に会いに行くのは怖くなくなでなでして、やっぱり可愛いなと思いました。夫と一緒だったためか涙は出ませんでした。
夫が帰る前、強がりとして、医師としてまた幅広い経験がさせてもらえるなと言ってみました。
深夜3時ほんのちょっとの搾乳をもって息子に会いに行きました。かわいいなより、違うよね?ここのパーツは特徴的かも、いや、でもここは違う。と、息子でなく特徴を否定して、違う違うと思い、さっきまで可愛い可愛いだけで息子を見れたのにこんなパーツだけ見るようになって、半日前に戻りたいと思いました。ぼたぼた泣いてたようで看護師さんが、ティッシュ箱を渡してくれました。
そこからは退院までずっと泣いてました。大人になって他人の前でこんなに泣けるのかと言うくらい泣いていました。泣いていると少し頭がぼーっとして、楽だったので。周りの病室では赤ちゃんの泣き声が聞こえて同室いいなと。隣は切迫みたいで大変だなと。でもあなたたちの子供は普通なんでしょと思っていました。この時から
息子の写真を見ながら搾乳しました。母乳はあまり出ずこの後多大な苦労をするのですが。常に泣いていたので、水分量としては涙>母乳でした。最近になってやっとこの不等号は逆向きになりました。
家事の苦手な夫は極めて優しく、いつも大雑把なのに細やかで、いつもより早く帰宅し毎日一緒にご飯を食べ、おそらく代わりに朝早く出勤し、出勤前に私に洗濯物を届けてくれました。
あとから、職場友人に、旦那さん息子がNICUに入っていて大変だ(酸素投与くらいで順調でしたので特に大変ではなかったです。もちろん心配はしましたが)というから、あまり聞いたりしたらよくないかと思ったよ、と教えてもらいました。あまりハッピーオーラを出していたわけではなかったようですね。
夫がこの後も息子のことで弱音を吐いたのは一度きりで『おKらちゃん、先に死なないでね』でした。