私にとってこの産まれてからの4ヶ月はひたすらおっぱいとの戦いでした。そして、これは私もたくさん読んだ、こうこうこうしたら上手くいったという記録ではなくて、私のまだ消化しきれていない失敗談です。書こう書こうと思っていたけどなかなか表出するのが難しくて今に至ります。
育児での悩みは?授乳です。
うちの息子は産まれてすぐGCUに入りました。新生児一過性多呼吸があり、カンガルーケアはできませんでした。産まれてすぐ分娩台で吸わせますと母親学級で言われていた授乳もできませんでした。
産んだのち、5時間後くらいに搾乳が始まりました。もっと早くにできていればと思います。
まずは乳管開通のマッサージをしてもらって。子宮復古の方が痛かったです。
3時間おきの搾乳が始まりました。翌日息子がダウン症の可能性があることを小児科医に告げられて、泣きながら搾乳していました。
2-3日はひたすらつまんで出す程度でシリンジで吸っていました。5mlとかをGCUに持っていっていました。産後4日目退院する頃にはやっと搾乳機で絞り始めて一回10mlくらいでした。まず手で絞ってそのあと搾乳機そして手で仕上げていました。退院日病院の売店まで歩いていって搾乳機を買いました。ついでにお会計にもいったら、とてもフラフラしたのを覚えています。お迎えがなかなか来なくて、自分で会計して、息子を置いて一人で退院かと悲しくなりました。
家に帰ってからも3時間ごとの搾乳です。ただひたすら寒かったのを覚えています。あと手でも搾っていて右手が痛かったのを。その時気持ちは悲劇のヒロインでしたので、やっぱり息子のことを思って泣きながら搾っていました。搾る時見ていた息子の写真を見ると今でもちょっと涙が出そうです。あんまりたくさんは搾れず、1日350位でした。500くらい搾れたらそんなにたくさん絞れなくても大丈夫と育児書に書いてあって、500を目指してひたすら搾っていました。
なかなか面会中も息子は飲めず、おっぱいは咥えるけれどよくて22。だいたい8-12でした。息子が帰れる目処が立ってきた頃母児同室で日中はほとんど2人きりで過ごしていました。退院後は出来るだけ母乳で頑張りたいと伝えましたが、なかなか飲める量が増えず、看護師さんにミルク中心でと言われた時に母乳では無理ですか?ときくと
ダウンちゃんは哺乳力が弱いから、今の段階で40は飲めてないと希望ない。必要量が確保できないと困るから20分だけ吸わせてそのあとは哺乳瓶にしましょう。
と言われました。言われたそのままの文です。あとあとまで私を縛る呪いの言葉でした。看護師さんが出ていったあと母児同室の部屋でまた大泣きしました。夫に電話して、やってみんとわからんやん、と言われるまで泣いていました。
退院後は直母→哺乳瓶でミルクか搾乳した母乳→搾乳するの流れでしたがなかなか哺乳瓶に時間がかかったり、哺乳瓶の後泣いて抱っこを下ろせなかったら次の授乳の時間がきてとかで搾乳がとぶことがありました。そうすると搾乳ができても搾れる量が20くらいになっていましたが、息子くんが飲む量が増えてておっぱいに残ってるのが少なくなっているんだと思っていました。
退院後少しして産後ケアホームに5日ほど入りました。ワンオペ育児に自信がなくてでした。すると、スケールがあるんですね、測りました。なんと息子はGCUの時より少ない量しか直母で飲めてなかったんです。つまり母乳の分泌量も落ちていて。。そこで助産師さんに初めて毎回しっかり搾乳仕切らないと分泌量は減る、夜の授乳が大事と聞きました。こんなにすぐピークアウトするとは思っておらず大変ショックでした。そこから頻回授乳ではなく頻回搾乳を始めました。何故頻回授乳でないかというと、そもそも哺乳瓶であげるのは2回に1回の予定だったのですが飲んだ後も寝てくれなくて毎回になってました。必要量が確保できないと怖いから母乳が出るようになるまでは搾乳で刺激しようと思ったのです。GCUでは哺乳瓶の最後の方、息子ちゃん寝ないで寝ないで、と起こしながら飲んでいたので、飲んだら寝るものだと思っていました。飲んだら寝ないと飲む量が足りてないんだとずーっと思っていました。