半年ほど前から発達支援の親子通園をするようになり、週に一回5-8人程度の息子以外の子供と同じ空間で過ごす機会があります。
色々な子がいます。発達支援事業所に通っているのでみんないろんなことで定型発達ではないんでしょう。おそらく。
そして私の少ない知識と経験からはおそらく自閉症スペクトラムの子も数人います。
その子たちに思ったのは、目線が合わない、楽しそう、お母さんの話は聞こえているけど聞こえていない(聞いていないではない)。素敵なもの何か面白いものを見ている?ように思っていました。少し表現がふさわしくないかもしれませんが、癌の緩和治療で時折使うケタラールを使用している患者さんが「ウサギが見えた、幻視の副作用の事は聞いていたし、ここは病室だから、この子は幻視なのだろうと思ったけれどかわいらしかったから追い払ったりしなかったわ。今もいるわ。」とおっとりとお話されていた。この表現を思い出すような印象を抱きました。
そして最近、小児精神科の勉強をしようと思い読んだ『自閉症だった私へ』の感想です。将来私は呼吸器内科医として働くとともに移行医療の問題に成人の医師としてかかわっていきたいなという気持ちがあります。(今は移行医療でなく移行ケアというのが最新らしいです)つまり、小児科卒業生のちょっとした風邪を診る医者です。息子も含め発達障害の方も多くいるでしょう。成人の患者さんに接していると認知症の方はかなりたくさんいますが、発達障害の方はほんの少数の方としかかかわったことがありません。それではコミュニケーションをとる事に問題があるかもしれないなと思い勉強をすることにしました。その中で『小児発達障害について 非専門医の先生に知ってほしいことをまとめてみました 著:高貝就』を読み、その中で『自閉症だった私へ 著:ドナ・ウィリアムズ』が必読図書として紹介されていたので読んでみることにしました。自閉症である筆者の半生を記した自叙伝です。診断を長らく受けずに成人した自閉症の筆者にとって世の中がどのように見え、どのように感じ、どのように行動したかが綴られている。どのように行動したかしか普段見ることができない。どのように見て、どのように感じ、どのように考えた結果、その行動に繋がったか(一例とは言え、)知ることができる作品でした。
以下、細かく感じた自閉症の特性です(作者だけに当てはまることかもしれないし、さらにその場だけかもしれないです。そしてさらにそれを私が私なりに解釈したものです)。
①見えているもの、感じていることからは了解できる考え方で行動に至っていること(何も考えることなく考えられることなく行動していると思っていた)
②めちゃくちゃカラフル、取りとめない日常風景もテーマパークのように色彩豊かに楽しいもの面白いものに見えている
③とても記憶力がいい
④自分の髪の毛や足ですら自己ではなく第三者的に俯瞰で見ている・意識している
「自分の足は動き回るのが好きだからおとなしく椅子に座っていられなかった」という感覚と「地面の(足裏に接する)感触が大好きだった」が両立する。
⑤物事の本体でなく、一般的に些末とされる事がメインになる。
「目の前にあった髪の毛がきれいだったから触ったら、その子が振り向き、髪の毛に顔がついてきたのに驚いた」
⑥話し言葉が認識しにくい?(これは"まえがき"による)ため、話かけられても雑音にしか聞こえない。
これはエッセイであり、極めて貴重な教科書であるなと思いました。とても勉強になりました。そして私は、理にかなってないことはなかなか納得できずそれにフラストレーションがたまるタイプですが、こういうタイプのママって多いんじゃないかなって思います。子供の行動の意味が分かれば少し子育てが気楽になるんじゃないかなと思いました。