竹内結子さんの死がまだ信じられないです。
わたしは辛くなったら仕事なんかやめたらいいと思うんです。やめると今後どうするの?とか再就職の時やりにくくなるよとか、本当にどうでもいいと思います。なんらな生活が厳しいと言うけど、こう言う時にこそ生活保護です。または貯金を切り崩したらいいんです。精神が本当に病んでしまってから回復するのは本当に厳しいです。ちょっと下り坂くらいの時に負担になっている物を全部休んで、下りの傾きを減らしてください。そうしたらもしかすると平面になっていつか上昇するかもしれない。でも下っている時間が長くなって深く深く潜ってしまったら本当に上昇するのが大変です。
うつ病と言うのは違うかもしれませんがうつ状態に近い状態になったことはあります。
高校で部活を引退した後、特に部活以外で友人がいたわけでもないわたしはクラスでも特に会いたい人とかはいませんでしたし、勉強に気持ちが向かうとかもなく燃え尽きになっていました。まあ、これは部活引退っていうきっかけがあるうつ状態なので、程度は軽いんですけどね。でも、全然部活っていったって程度は低いんです。全体で言うと多分中の下くらいのうまさですわたし。でも朝練して昼練して放課後も練習してわたしの中ではもう部活が全てでした。それを引退したもんで、朝練に行くこともなくなり、部活の友人とも会う機会が減り。。朝練に行かないからゆっくり朝起きてと思っていたら昼くらいまで起きれなくなりました。お腹も減らないし、なんといっても眠い。そして学校に行こうとしても、なんとも言えない無気力で、家の玄関までたどり着かず廊下で3時間くらい寝ていたり。。。これを3ヶ月くらい続けていました。
で、どうなったかって言うと。何にも言わないうちの親。まあ、本当に寝ていました。高校3年生の秋です。寝て寝て、時々塾に行って。学校には行かず。ゆーくりお風呂入って。また寝て。ちょっと、食事してみたり。そして家で漫画読んだりできる感じになってきた時、学校行くかと思って行けるようになりました。確か。あまり記憶がないですが。本当にほぼ寝ていたので。これ特に当時はフツーの高校生ですし、うつとかそういう自覚は全くなかったです。でも多分うつ状態だったんでしょう。トイレ行くのも大変でした。。もちろん着替えることもなく一日中ベッドにいました。でも、別に、受験も当時はどうでも良かったですし、何せ部活がないので、なにかを頑張らなきゃみたいなことはなにもなく。ただただ大量に休養を取れたんでしょう。元気になりました。
もちろんこれはただの一例です。でもわたしはこれで自分が休んでほっといたら病んだ気持ちがいつのまにか楽になるんだと言うことを学びました。以後、おそらく7−8年くらいは秋頃調子が悪く、気分が滅入ることが多かったです。でも、あまり大きく気持ちが病んでいることに対して悲嘆せずに、いやこれ無理せず、ほっといたら治るやつと思って過ごしていました。今は一緒に暮らしている家族がいますので秋であろうと全く気配なしです。でも、一人暮らしをしていた8年くらいは妙に俯瞰で自分を見ていて、ほっとこう、時間が解決するよ。その間何にも頑張らないと言うことを強いて言うと頑張っていました。何せ、さすがに一人暮らしで廊下で寝て起き上がれないほどの調子になってしまうと餓死というか、生活が成り立たないので、なんとしてもそこまで落ちてはいけないと、何より最優先で頑張らないようにしていました。
このようにしてわたしとしては休むということをとてもポジティブに考えています。今でも何が仕事がたくさん溜まっているけどなかなか進まないとか嫌なことがあって悩んでしまうなど有ればともかく休む。別に食事なんかコンビニでもウーバーイーツでも冷凍食品でもいいし、なんなら多少抜いてもOK。洗濯だって晴れてても別に乾燥機使えばいいんです。元気になれば自然と外に干すようになります。
アントニオ猪木の言っていることが真理だなと。『元気が有ればなんでもできる』
なので元気がない時に何かをしようとせずに、元気がない時は休むを心掛けています。本当に心掛けています。心掛けないとなかなか日々に忙殺されてできないので。休むということを大事にして場合によってはお金を使って休む、誰かに甘えて休むようにしています。世の中はもう少し一生懸命休むと言うことに取り組んでもいいのかなと思っています。頑張って=休みなさい。無理をせずとなってもいいのでは。なんせ『元気が有ればなんでもできる』